猪熊弦一郎《自由の住む都市》1980年
©公益財団法人ミモカ美術振興財団
猪熊弦一郎展 20歳から90歳まで
2026年3月1日(日)-6月28日(日)
休館日:月曜日(5月4日は開館)、5月7日(木)
| 開館時間 |
10:00-18:00(入館は17:30まで) |
|---|---|
| 主催 |
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団 |
| 料金 |
一般 300円(団体割引:240円、市民割:免除)、大学生 200円(団体割引:160円、市民割:免除)、高校生以下または18歳未満・各種障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料 |
猪熊弦一郎(1902-1993)は1922年、20歳になる年に上野に校舎を構える東京美術学校(現 東京藝術大学)に入学し、在学中の1926年に《婦人像》で帝国美術院第7回美術展覧会(帝展)に初入選して以降、1993年に90歳で亡くなるまで途切れることなく制作に励みました。長い画業の間に猪熊の絵画は具象から抽象、そして具象と抽象の区別を超えたものへと変化し、加えてモチーフやテーマも折々に移り変わっています。
人物像を主なモチーフとしてスタートした猪熊は、30代半ばの1938年から足掛け3年を過ごしたパリでさまざまな描き方に挑戦したうえで具象の代表作を描き上げました。その後、50歳を越えた1955年から約20年間拠点としたニューヨークで作品は抽象に変化します。才能あふれる人々が集まり、優れた建築も相次いで完成するなど刺激に満ちた土地で過ごすうち、猪熊は都市というテーマを見出し、四角や円、直線による絵画を制作するようになりました。さらに、70歳を過ぎて東京とハワイの2都市を拠点とした1975年以降はテーマが徐々に宇宙へと移り、陽射しが強く自然豊かな環境からか、明るく鮮やかな色彩で多様な形を描くようになります。そして1988年、85歳の時に夫人を亡くしたことをきっかけに顔を描き始めると、輪郭としての丸の中に一つひとつの形をどう位置づけるかが面白くなり、次第に顔だけでなくあらゆる形を同等に捉え、構成した作品になりました。
時代や環境の変化にともない自身も変わることを当然とした猪熊は、日々、新しさを更新し、時々の自分に素直に、力の限り惜しみなく描き続けました。だからこそ作品は変化に富んでいますが、その根底には「美とはひっきょうバランス」、「いい絵は、どんなに乱暴な描き方にみえてもちゃんとした秩序がある」*という考えが貫かれ、いつも絵として美しいことを追究していたのです。
*猪熊弦一郎「勇気」『私の履歴書 猪熊弦一郎』丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団、2003年、p. 8
- 猪熊弦一郎《婦人像》1927年
- 猪熊弦一郎《マドモアゼルM》1940年
- 猪熊弦一郎《猫によせる歌》1952年
- 猪熊弦一郎《Haniwa 1》1956年
- 猪熊弦一郎《風景》1972年
- 猪熊弦一郎《出発》1983年
- 猪熊弦一郎《黒い馬 3》1991年
- 猪熊弦一郎《ダボとカガシ》1993年
すべて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
エントランス
《自由の住む都市》1980年、アクリル・カンヴァス、137.2×122.0㎝
展示室B
- 《自画像》1921年、油彩・カンヴァス、53.5×45.5㎝
- 《雪の道》1923年頃、油彩・板、45.5×45.6㎝
- 《婦人像》1926年、油彩・カンヴァス、116.8×91.0㎝
- 《座像》1933年、油彩・カンヴァス、145.5×112.5㎝
- 《パイプと男》1939年、油彩・カンヴァス、60.6×50.0㎝
- 《マドモアゼルM》1940年、油彩・カンヴァス、81.2×65.4㎝
- 《猫と子供》1951年、油彩・カンヴァス、92.0×65.5㎝
- 《猫によせる歌》1952年、油彩・カンヴァス、181.5×259.0㎝
- 《Haniwa 1》1956年、油彩・カンヴァス、106.4×175.5㎝
- 《The City Planning (D)》1964年、アクリル・カンヴァス、127.4×102.0㎝
- 《風景》1972年、アクリル・カンヴァス、178.0×202.5㎝
- 《出発》1983年、アクリル・カンヴァス、136.0×121.5㎝
- 《遊泳する窓》1984年、アクリル・カンヴァス、194.0×290.6㎝
- 《顔32》1988年、アクリル・カンヴァス、127.0×96.7㎝
- 《黒い馬3》1991年、アクリル・カンヴァス、122.0×101.0㎝
- 《ダボとカガシ》1993年、アクリル・カンヴァス、121.0×101.5㎝