
JR上野駅壁画《自由》の最初の修復時のスナップ写真 1984年
猪熊弦一郎博覧会
2025年4月12日(土)-7月6日(日)
休館日:月曜日(5月5日は開館)、5月7日(水)
猪熊弦一郎(1902-1993)の画家としての作品世界にとどまらず、著名なアーティストとの交流や建築家との協働、デザインの仕事、そこから生み出された文化的所産に焦点を当て、ご紹介いたします。
猪熊は20世紀に活躍した画家です。生涯現役で活動し、その画業は70年の長きに渡ります。一貫して絵画における「美」を追求し、一方で常に新しい表現に挑戦することで画風が変化し続けました。戦前はパリ、戦後はニューヨーク、ハワイと海外に拠点を置き国際的に活動しました。
本展では、戦後の猪熊の画業について、絵画以外の活動に注目します。1949年に猪熊が中心となって設立した「新制作派協会建築部」会員との協働、猪熊自身が手がけたデザインやパブリックアートの仕事、ニューヨーク滞在時に日米文化交流で果たした役割や世界的なアーティストとの交流、故郷の香川県に今の「アート県かがわ」につながる文化的な礎を築いたことなど、国内外に遺した足跡をたどります。
開館時間 |
10:00-18:00(入館は17:30まで) |
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休館日 |
月曜日(5月5日は開館)、5月7日(水) |
主催 |
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁 |
建築史監修 |
五十嵐太郎(東北大学院教授) |
アートディレクション |
菊地敦己 |
料金 |
一般1,500円(団体割引1,200円、市民割900円) |
令和7年度日本博2.0事業(委託型) |
1. 猪熊弦一郎 慶應義塾大学壁画《デモクラシー》 1949年
2. 猪熊弦一郎 香川県庁舎東館陶画《和敬清寂》 1958年
3. 猪熊弦一郎 帝国劇場ステンドグラス《律動》 1966年
4. 猪熊弦一郎 レグザムホール(香川県県民ホール)壁画《21世紀に贈るメッセージ》 1988年
5. 猪熊弦一郎 三越包装紙「華ひらく」型紙 1950年
6. 猪熊弦一郎 JR上野駅中央改札壁画《自由》 1951年
7. JR上野駅壁画《自由》を描く猪熊弦一郎 1951年
8. JR上野駅壁画《自由》の最初の修復時のスナップ写真 1984年
1-4, 6 撮影:高橋章

猪熊弦一郎 撮影:高橋章
猪熊弦一郎(いのくまげんいちろう)
1902 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業、上京し本郷洋画研究所で学ぶ。
1922 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学、藤島武二教室で学ぶ。
1926 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。以後、1934年まで毎年出品し入特選を重ねる。
1927 東京美術学校を中退。
1935 新帝展に反対し不出品の盟を結んだ有志と第二部会を組織、第1回展に出品する。
1936 同世代の仲間と新制作派協会(現 新制作協会)を結成、以後発表の舞台とする。
1938 渡仏、パリにアトリエを構える(~1940)。滞仏中アンリ・マティスに学ぶ。
1949 建築家の山口文象とともに、新制作派協会に建築部を創設する。慶應義塾大学学生ホール(谷口吉郎設計)壁画《デモクラシー》を制作。
1950 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。
1951 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。
1955 渡米、ニューヨークにアトリエを構える。
1958 香川県庁舎(現 東館、丹下健三設計)陶画《和敬清寂》を制作。
1975 ニューヨークのアトリエを閉じ、東京に戻る。冬はハワイで制作するようになる。
1988 香川県へ作品100点を寄贈。香川県文化功労者として表彰される。
1989 丸亀市へ作品1,000点を寄贈。
1991 丸亀市名誉市民証を授与される。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館。
1993 逝去、90歳。